【鎌田實医師】気負いのない自由な発想が「老い」を面白くする

現在73歳の諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、著作『がんばらない』で病や死との向き合い方を提示したのは60代になったばかりだった。それから約十年、みずからの「老い」に直面することで分かってきた、面白く生きる技術について語る。

作家・森村誠一氏は『老いる意味』のなかで、50歳ごろ、眉毛が伸びてきてショックを受けたと述べている。老いとの出合いは、不意打ちである。

精神科医のキューブラー・ロスは、死を受容するまでに5段階の心の変容があると述べている。やがて死から逃れるために何かにするが、やはり死から逃れることはできないと「うつ状態」になり、最後に「受容」に至る。

「老い」のショックは、「死」のショックほど大きくはないかもしれない。次々と老いの事象が起こるたびに、死の受容5段階と同じような過程をたどるのではないだろうか。この過程を行きつ戻りつしながら、老いを受け入れていく。

「自由になれる」これこそ、老いのキモ 老いを受け入れることは、敗北を認めるような、さびしさがある。40、50代のころはそんなふうに思っていた。

老いを生きることは、自由になっていくことだと気づいたのだ。若いころは、「男はこうあらねばならぬ」という刷り込みが強く、「モーレツにがんばって成功を手に入れる」という根性論が支配していた。

そんな社会や自分自身が作った縛りから、「老い」は解放してくれる。身軽になって、やりたいことがやれる時が来たのである。

人生100年時代といわれる今、老後を「余生」と呼ぶにはあまりにも長すぎる。周りを見渡せば、すでに「二毛作」を実践する人たちがいた。

2014年に亡くなった俳優の菅原文太さんとは、晩年、病気の相談を受けるなどつきあいがあった。長靴のままやってきて、蓼科のカレーを食べに行くのにお供をしたこともある。

映画界に陰りがさし、自身も60代に入ったころから農業への関心が高まっていく。岐阜県清見村への移住を経て、2009年には山梨県北杜市の耕作放棄地で農業を始めた。農業生産法人「竜土自然農園おひさまの里」を設立し、有機農業などに取り組みながら、命の大切さ、食の安全を訴えた。

僧侶・高橋卓志さんは、「仏教界の革命児」といわれ、ユニークかつ事の本質をつくようなNPO活動を行ってきた。松本市の神宮寺の住職を30年以上務めてきたが、2018年に事実上、住職の引退をした。

後継者である若い住職にバトンタッチすると、タイに渡り、さまざまな国籍の若い人たちに交じって、チェンマイの大学でタイ語を学んでいる。この転機について、高橋さんはオフィシャルサイトで、こんなふうに書いている。

「もうタテマエを気にする必要はない、自分を保全するためにウソをついたり、人の顔色をうかがったりする必要もない。自由に、正直に生きよう」「いままでのぼくに決着をつけ、生き直しのために『再誕の産湯』につかったら、どんな地平が広がるのだろう。それを見てみたい、そう思った」

彼はぼくと同い年だが、この文章からは清々しい若さが感じられる。

気負いのない自由な発想が「老い」を面白くする。ぼくは、佐賀で「がんばらない健康長寿実践塾」を開き、中高年の塾生に健康指導をしている。

やってみようと思ったのは、ミズホールディングス会長の溝上泰弘さん(76)の人柄に魅かれたからだった。薬剤師の家系で、祖父は製薬業、父は薬品卸業を営んでいた。泰弘さんは東京の医療機器の輸入商社で営業をしていたが、父親が末期がんとなり、家業を継ぐため帰郷した。

溝上薬局は現在ミズグループとして社員555人、年商117億円に成長。 商業施設のテナントが埋まらず、経営の危機に陥った。「どうせ儲からないなら、住民のほしいものを作ろう」と覚悟。住民にアンケート調査をし、ニーズの高かった婦人科と精神科のクリニック、保育園を作ることになった。

保育園は全く違う分野で、戸惑いも大きかったが、人脈の広さで実現していった。社会福祉法人を作って、自ら理事長となり、25歳の若者をリーダーに据えた。 子どもを第一に考えたユニークな保育園は、希望者が殺到する人気の園となった。

さらに、一人暮らしの高齢者のことを考え、シニア向け賃貸住宅を作った。 こうした溝上さんの発想をみてみると、視点の置き所が面白い。 これらの視点は、「老い」を面白く生きるうえでも欠かせないものではないだろうか。

出典元:https://www.news-postseven.com/archives/20211007_1696493.html

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