高齢者の方に聞いた「後悔していることは?」の総括
(1)女性が感じる結婚や子育てへの後悔
この時代には、二〇歳代の若い時期に結婚しなければ恥ずかしいような空気があり、親や親戚が勧める縁談を断れないような仕組みもありました。 結婚は本人同士ではなく家同士の話であって、今のように、本人たちの意思を汲み取ってもらえるようなものではなかったという事情も読み取れます。
子どもの進学や就職は、夫から任せられた重大な使命だと認識していて、それが全うできなかったという想いの人が多いのでしょう。夫を含めて自分たちは無理だったが、なんとか子どもたちは“いい大学”へ“いい会社”へという一心で頑張ったのに成し遂げられなかった。そんな、多様性が認められない時代を生きてきた方々ならではの振り返りに見えます。
(2)意思を抑えて、生きてきた
男性には、上司の指示や職場の空気に流されて生きてきてしまったという声が多くありました。仕事に忙殺され、会社の論理に巻き込まれ、自分の意思を抑えたまま過ごしてきてしまった。
過ぎたことを……とも思うのですが、あの時に自分の意思にしたがって行動していれば、もっと良い結果が得られたかもしれず、それによって今も変わっているのではないかという想いなのかもしれません。
女性では、夫の言うことに従い過ぎたという声、働いていた人には「女がモノを言うな」という空気に押されて何も言わないようにしていたといった声がありました。いずれにしても、女性が言いたいことを言うのはみっともないという時代に生きてきたことを、今のような比較的それがマシな時代になって、改めて感じておられるように思います。
(3)「時代に翻弄された」
実感を持っている戦後の貧しい時代だったから、やりたいことができなかったという声も多くありました。かと言って、今の若い人たちを、うらやんでいるわけでもなく、自分たちはそれに比べて恵まれなかったと残念がっているわけでもありません。
アンケートを読んでいると、むしろ、若い人たちには頑張ってほしいという気持ちが伝わってきます。
昔は、女というだけでダメだった、貧しくて進学できなかったし支援制度もなかった、留学は海外旅行も高根の花だった、学歴だけで与えられる仕事のレベルが決まっていた、都会で挑戦したくても地元に残らざるを得なかった。 徐々に、そうではなくなっているんだから、チャンスを活かしてほしいというエールのような声です。
(4)勉強不足を痛感している
受験を含めた学生の頃の勉強もあれば、社会に出てからの学び、キャリアや宗教までその内容は多様です。
文化センターなどの講座の出席者が、かなりの割合で高齢者なのは、時間に余裕があるからだけではなく、高齢になると学ぶ意欲が高まるからだと言われていますが、その背景には、「もっと勉強しておけばよかった」という後悔が含まれているのかもしれません。
また、学べば学ぶほど知らないことの多さが分かるので、さらにその意欲が高まるとともに、もっと早く、若いうちに勉強しておけばという気持ちにもなるのでしょう。 「余命半年と言われたら、何をしたいですか?」と訊いたとき、即座に「勉強」と返されたときのことを思い出します。
「時代が変わっても、歳を重ねれば同じように変化すること」と、「同じように歳をとっても、生きてきた時代によって変化の仕方が異なること」があります。現代の高齢者も、歳をとってその昔のお年寄りと同じように変化してきたことと、生きてきた時代が異なるがゆえに昔の人とは違う変化をしていること、との両方があります。
「人生の後悔は?」の回答には、その両者が混ざっており、何度読んでも非常に興味深いものがあります。