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「私には庭がある」オープンガーデンオーナー女性が夫の死から立ち直るまで

東京・小平市。1000坪のオープンガーデンが街の住人にやすらぎを与え、自らの脳梗塞をも癒す。 造り込みすぎず、手を掛けすぎず、愛にあふれる庭は 200種類を超える植物が生い茂る庭園を突き抜ける小道を歩いていくと、花や葉っぱが柵や鉢を思いっきりはみ出し、植物の生命力がダイレクトに伝わってくる。

《苦難に耐える》《逆境で生まれた力》。 これは同園のオーナー、森田光江さんが最初に育て始め、「うちのガーデンのシンボル」と誇るカモミールの花言葉。奇しくもこの広大な庭が生まれたきっかけは“逆境”にあった。それは2008年、夫の武さんに胃がんが見つかったことだった。

「夫との出会いは偶然でした。 私よりも先に母が“優しいし、真面目そうな人だ”と気に入って、お茶やお菓子を出しているうちにおつきあいが始まりました」 母親の見る目は正しかったようで、ふたりは穏やかで幸せな家庭を築いた。

「夫と私はとても仲のよい夫婦でしたが、唯一のもめ事は私の花畑と夫の野菜畑の境界線をめぐるイザコザでした(笑い)」 実家が農家だった武さんは畑仕事が大好きで、会社員をしながら庭の畑で野菜を育てていた。がんになる3年前に定年退職してからは畑にこもりきりの毎日だった。

「私は子供の頃から、道端のタンポポを見つけてはつんで帰るほどお花が大好きだったけれど、きちんと育てたことはなかったの。 最初はお花の育て方もまったくわからなくて、夫が代わりに種をまいてくれました」

夫の胃がんは末期であり手術や積極的な治療は見込めない状態だったが、本人にその事実は伏せられ、武さんは「早期発見のため自宅通院」という医師の言葉を信じ、最後まで畑に出続けた。 病気であることが嘘のような、穏やかな時間でした」 その幸せは長くは続かず、発見から1か月後に武さんは亡くなった。 息を引き取る3日前も土仕事をしていたという。

森田さんは最愛の夫の突然の死に大きなショックを受け、喪失感に襲われた。

「もう、どん底でした。 本当に悲しくて、1か月は泣いてばかりの毎日でしたね」 年を重ねるうちに、誰しも大切な家族と死別する可能性が増していく。

いうまでもなく、ほとんどの場合、その別離には大きな苦しみが伴う。配偶者を亡くすことは、心理学上、最大のストレスだと語るのは、シニア産業カウンセラーの青木羊耳さんだ。

90才にして、高齢者とともに生きがいを模索する現役のカウンセラーとして活躍する青木さんもまた、妻に先立たれる苦しみを経験した1人だ。

「2020年5月に旅立った妻はALS(筋萎縮性側索硬化症)という筋肉が少しずつ衰える難病でした。 死後しばらくは悲しみに耐えられず、詩人の高村光太郎が亡き妻・智恵子のためにつくった詩を読みながら、いつまでも泣いていました」

妻の死後、ひとり心を閉ざして塞ぎ込んでいた青木さんだが、時が経つにつれ「この悲しみを直視しよう」と考えるようになった。

「こんな状態でいるのを妻が見たら悲しむだろうと思ったんです。妻との最後の日々を記録に残すことで悲しみを再体験すると、気持ちが整理されて落ち着きました」 青木さんは悲しみにどっぷりと浸かりながら書き残した妻との思い出を『妻を看取る』という本にまとめて今年5月に出版した。

「思い出を文章に残すことも、悲しみを癒すことにつながるはずです」 森田さんもまた、夫婦の思い出の場に戻ることで癒され、再起のきっかけをつかんだ。

「泣き暮らしてふと気がつくと、お花が咲き乱れる春だったんです。 これからの季節、大根や春菊など、冬物の野菜の種をまく予定です」(森田さん・以下同)

“おひとりさま”になって14年経つが、いまも毎日武さんとの対話を欠かしたことがないという。

「お父さんがよくしてくれたからいまのガーデンがあるんだよ、という気持ちでいつも感謝の気持ちを伝えています。時々は『お父さん、お願い』って願い事をして娘に笑われますけど、それでも毎日の終わりには、『お父さん、今日も一日無事だったよ』と報告しています」

出典元:https://www.news-postseven.com/archives/20211006_1696757.html?DETAIL

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