東京新聞より
髪形が決まった日は、なんだか心がワクワクする。「ディチャーム株式会社」(東京都品川区)は、全国千五百以上の高齢者施設に美容師を派遣する。
日の光が差し込むフロアに軽快なハサミの音が響く。千葉県浦安市の特別養護老人ホーム「うらやす和楽苑」にディチャームの美容師が訪れた。
音楽が流れ、クリスマスリースや造花で飾られた鏡の前に座る入居者の坂倉とりさん(89)の髪を「ケアスタイリスト」猪狩幸代さん(53)がカットしていく。耳の周りはすっきり、襟足は短く。
「ケアスタイリスト」とは髪を整えるだけではなく、美を通じて生活に楽しみを与える美容師という意味の造語だ。カットが終わり、ドライヤーでふんわりと整えられた前髪を鏡で見た坂倉さんは「いいですね」とほほ笑み、顔ぞりもリクエスト。
眉を整え、薄く口紅も塗ってもらうと、坂倉さんの表情が一層晴れやかになり、「きれいになった」と満足そうだった。子育てでいったん仕事を離れたが、訪問美容なら時間の融通がきくとカムバック。
和楽苑では入居者約八十人の大半が同社の訪問美容を利用する。施術料は施設により異なるが、同苑ではカットが二千百七十八円。
鈴木信男苑長(65)は「要介護度が高い人でも、食やお風呂、オシャレといった楽しみを欲する気持ちは残っている」と訪問美容を受け入れる理由を話す。苑長が研修で訪れたデンマークでは、デイケア施設に理容・美容室が併設され、高齢者がきれいになることを楽しんでいた。コロナで一時的に面会を止めたこともあったが、一カ月ほどで来訪を解禁した。
介護係長の田所かすみさん(42)は、こんな話をしてくれた。「部屋に戻るエレベーターには大きな鏡があるので、みなさん自分の姿を見て、もう一回喜びをかみしめています」
ディチャームは、社長を務める大久保智明さんが公認会計士から転身して2000年に創業した。最初は「外出できないおばあちゃんをきれいにしてどうするの」という「常識」との闘いだったが「美容は高齢者の尊厳にとって必要」という確信があった。
大久保さんは神戸出身。1995年に阪神大震災が起き、現地でさまざまなボランティア活動に取り組んだ。それを知っていた行きつけの美容院のオーナーが、発生から1年後、美容の技術を生かしたボランティアをしたいと大久保さんに相談を持ちかけた。髪が切れなくて困っている人なんているのかと思いつつオーナーに同行して仮設住宅を訪れると、集まってきたのは高齢者ばかり。この経験が心に残り創業を決意。社名のディチャームには尊厳と魅力の意味が込められている。