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【訃報】オリビア・ニュートン・ジョン逝去 死因は乳がん

世界的な人気歌手のオリビア・ニュートン・ジョンさんが8日、米カリフォルニア州で亡くなったと公式インスタグラムで発表されました。

オリビア・ニュートン=ジョン(Dame Olivia Newton-JohnAC DBE、1948年9月26日 – 2022年8月9日)は、イギリス生まれ、オーストラリア育ちのポピュラー歌手、実業家。 オーストラリア勲章、大英帝国勲章を過去に受章し、日本でも旭日小綬章が授与されています。

オリビア・ニュートン・ジョンの経歴

5歳の時、英国からオーストラリアに移住。14歳でテレビのタレント・コンテストで優勝。16歳で英国に戻り、高校在学時にアマチュアバンド“ザ・ソール・フォー”を結成。

1966年英国で歌手デビューし、’71年「イフ・ノット・フォー・ユー」で米国デビュー。’73年2枚目のアルバム「レット・ミー・ビー・ゼア」で一躍注目を集め、グラミー賞を獲得。

以後「愛の告白」(’74年)、「そよ風の誘惑」(’75年)、「ジョリーン」(’76年)、「カントリー・ロード」(同)、「ザナドゥ」(’80年)、「フィジカル」(’81年)など数多くのヒットナンバーを出す。世界で5000万枚、日本でも500万枚を売り上げた。

一方、映画「グリース」(’78年)、「ザナドゥ」(’80年)などに出演し、女優としても活躍。

環境問題に関心が深く、’70年代イルカ保護に尽力。’89年国連環境計画(UNEP)の親善大使に就任、環境保護キャンペーンにも乗り出す。

’92年乳がんの手術を受け、’94年末カムバック。2000年9月シドニー五輪開会式で同じオーストラリア出身のロック歌手ジョン・ファーナムと共に「Dareto Dream」を歌う。

1972年クリフ・リチャードの日本公演にコーラスとして参加。’90年9年ぶりに来日。2003年ベストアルバム「オリビア・ニュートン・ジョン」をリリースし、25年ぶりの日本公演を開催。

歌手活動の傍ら、乳がん早期発見の啓発に力を注ぎ、2009年その活動の一環で来日。2010年ファンの人気投票結果を反映した日本盤だけのベストアルバム「オリビア・ニュートン・ジョン40/40〜ベスト・セレクション」をリリース、日本公演も行う。2008年6月米国の実業家ジョン・イースターリングと再婚。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

1992年以来3度目の再発となる乳がんがステージ4と診断

オリビアさんが初めて乳がんと診断されたのは1992年のこと。2013年に再び治療を受けて完全に寛解したが、2017年にがんが脊椎に転移したことが発覚しました。ほとんどの人なら受け入れがたい事実に苦しむところですが、彼女は持ち前の楽観主義と大麻の助けを借りて闘いました。

オリビアさんは「私はどんな困難に直面しても、物事のプラス面にフォーカスするようにしているの」とオーストラリアの雑誌『Who』に語っていました。そして、自ら財団を設立して、がん患者の支援に尽力していました。

財団はオーストラリアを拠点に、オリビア・ニュートン・ジョン・キャンサー・ウェルネス・アンド・リサーチ・センターの経営や植物性生薬のメリットを研究する活動を行っています。オリビアさんは、夫ジョン・イースターリングがカリフォルニアの農場で栽培を始めたことをきっかけに、大麻には癒やしの効果があることを知り療法として使用していました。

夫のジョン・イースタリングさんは、インスタグラムで文書を発表。「オリビア・ニュートン・ジョンは、南カリフォルニアの彼女の牧場で、今朝、家族と友人に見守られながら、安らかに亡くなりました。30年以上、乳がんと闘い続けた彼女は、勝利と希望の象徴でした」と乳がんとの闘病の日々を明かした。その上で「彼女の、植物医学に関する先駆的な経験と癒やしの発想は、植物医学とがんの研究に取り組む、オリビア・ニュートン・ジョン財団に引き継がれました」とつづった。

日刊スポーツ:https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202208090000086.html

私のようなオジサン世代には、MVで見たレオタードとハチマキが忘れられません。