1920年(大正9年)7月1日、日本山岳会のメンバーである藤島敏男・森喬の2名が、土樽の案内人・剣持政吉を伴い、かつて新潟県南魚沼郡にあった土樽村から入山。仙ノ倉山に至り、三ノ沢に下降。翌日の7月2日に矢場尾根から茂倉岳・谷川岳に至り、天神峠から谷川温泉に下った。谷川岳の麓に位置する群馬県利根郡みなかみ町が制定。
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1920年(大正9年)7月1日、日本山岳会のメンバーである藤島敏男・森喬の2名が、土樽の案内人・剣持政吉を伴い、かつて新潟県南魚沼郡にあった土樽村から入山。仙ノ倉山に至り、三ノ沢に下降。翌日の7月2日に矢場尾根から茂倉岳・谷川岳に至り、天神峠から谷川温泉に下った。谷川岳の麓に位置する群馬県利根郡みなかみ町が制定。
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