1972年のミュンヘン五輪で金メダルを獲得し、その後も男子日本代表及び女子代表監督としてバレーボール界に多大な貢献をした横田忠義さんが、5月9日夜、75歳で北海道旭川市内の自宅で静かに息を引き取ったことが、16日に明らかになりました。彼の死因は病気であると報告されています。
バレーボール界にとって、1968年のメキシコオリンピックと1972年のミュンヘンオリンピックは特に記憶に新しいでしょう。これらの大会では、日本チームが素晴らしいパフォーマンスを見せ、その中心には横田忠義さんがいました。彼は当時パナソニック(旧・松下電器)の一員として、大古誠司さんや森田淳悟さんとともに「ビッグスリー」と称され、その活躍は日本バレーボールの黄金時代を築きました。
横田さんは、そのパワフルなスパイク、バックアタック、クロス打ちで、まるでコート上の詩人のように試合を彩りました。特に彼の活躍は1972年のミュンヘンオリンピックでの金メダル獲得に大いに貢献しました。その後、NECホームエレクトロニクス(旧・新日本電気)の監督として、また、94年には女子日本代表監督として、引退後もバレーボールの指導と普及に力を注ぎました。
彼の情熱は、同じチームの選手たちだけでなく、指導した後輩たちにも影響を与えました。特に彼と大古さんは、良きライバルとして互いに高めあい、金メダル獲得に貢献しました。彼が病気と闘いながらもプレーを続ける姿は、人生を最後まで諦めずに生きるというメッセージを伝えています。
彼が亡くなったことはバレーボール界にとって大きな悲しみでしたが、彼の遺した言葉「派手なことはしなくていい」は私たちの心に深く刻まれています。彼の人生は、自分の道を真剣に進むこと、直面する課題に全力で取り組むことの大切さを教えてくれます。
横田さんが天国でかつての仲間たちと再びバレーボールを楽しんでいることを想像すると、胸が熱くなります。彼の情熱と教えは、これからのバレーボール界に影響を与え、次世代の選手たちを導くでしょう。横田さんの貢献と精神は、私たち全てにとって、貴重な教訓となり、彼の記憶は永遠に生き続けます。