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大震災で助けてくれた1台の公衆電話。再三の撤去要請も、抵抗続け27年

兵庫県尼崎市の特別養護老人ホームに1台の公衆電話がある。施設は電話会社から幾度も廃止を要請されながらも抵抗し、近隣の人々もテレホンカードをかき集めて存続を支える。

一人一人の脳裏には、27年前の阪神・淡路大震災が焼き付いている。将来起こりうる巨大地震を見据え、施設運営者は力を込めた。

この地域に公衆電話は何台あるでしょう?市内であった防災訓練の終わりに、施設運営者の男性は参加者たちに尋ねた 答えは5台。県内でも減少の一途をたどり、阪神・淡路があった1994年度に比べると、2020年度は8割減の5798台。尼崎市内では1台も見つからない駅も増えた。

1988年にオープンした園田苑には緑色の公衆電話が2階と3階に1台ずつあった。それが震災から10年後の2005年、「利用額が低い」として撤去を要請してきた。

設置者が維持管理費を払う「ピンク電話」と異なり、「緑電話」はNTTが支払っているからだ。ところが、中村さんは交渉の末に2階の1台を残してもらう。

その理由は、27年前にさかのぼる 中村さんは当時、施設長。 市内の自宅マンションが半壊し、頭に裂傷を負いながらも、避難者を受け入れ、近隣におにぎりを届けて住民たちの避難生活を支えた。行政に伝えるべき情報は膨大にあった 電話回線が不通になる中で、こうしたやりとり全てを支えたのが公衆電話だった。

園田苑の1台は大半を硬貨ではなく、テレホンカードで賄っている。近隣の人々がその有用性に共感し、自宅で眠っているテレカを提供してくれるのだ。園田苑を応援しようと、金券ショップを回って入手して贈ってくれる人も現れた。 通話料に換算すると、11万5千円を超えている。

テレカは高齢者にとっても使いやすい。縦向きの穴に硬貨を入れる動作は意外に難しいが、一度挿入すれば通話に集中できる。

中村さんは園田苑をはじめとする自治体指定の「福祉避難所」には公衆電話を常設すべきだと唱える。東日本大震災では、避難所に公衆電話が設置されると被災者の列ができた。利用実績を伸ばそうと、きょうも公衆電話を使っている。

携帯電話で受けると、着信画面に「公衆電話」と表示されるため「大半は不審がって1回では出てくれない」と苦笑い。それでも「なんで公衆電話からかけてるん?」と問われるたびに、人知れず喜びを感じるという。なぜなら、震災のこと、公衆電話のことを話すきっかけができるから。

「このありがたみは被災した者にしか分からないかもしれない。でも次の災害は確実に来る。ならば、過去の体験を伝えない手はない」

引用元:https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202201/0014988227.shtml

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